今年10月18日に、にしさん(西康晴先生)がお亡くなりになられました。
私は電気通信大学の西康晴先生に対しての面と、にしさんとしての面の両方に対峙していたので、その思い出話をつらつらと書き連ねたいと思います*1。
電気通信大学の西康晴先生
私は電気通信大学(以下、電通大)電気通信学部システム工学科(当時)の学生として入学しました。
入学当時にシステム工学科の講師として在籍していたのが西康晴先生です。ちなみに、最期まで教授にはならず、意思を持って講師のままで居続けていました。
特に目立った学生ではなかったですし、西先生の研究室の所属でも無かった*2ので、おそらく西先生は学生時代の私のことを特別に認識をしていたわけではないと思います。しかし、私にとっては印象的な講義が多かった先生でした。
西先生の印象的な講義1. コンピュータリテラシー
大学1年前期の科目としてあったのが、コンピュータリテラシーでした。この講義は大学のコンピュータ室*3で行われ、コンピュータの歴史的な側面を学びつつ、リテラシーについて学んでいきました。
その中で、「ネット上でコミュニケーションを取ってみよう」というものがありました。そこで西先生は匿名掲示板を用意して、「他の誰かと必ず1回は会話のやり取りをしてください。」という課題を出しました。
最初は穏やかだった掲示板が、数分後には荒れていきます。誰かをいじるような投稿も増えていきました。そうしてある程度荒れている状況を笑って見過ごした後、おもむろに西先生は「まあ、表示上は匿名だけど、誰が書いたかは特定できますよ」と言いました。その瞬間、ピタッと投稿が止みます。続けて西先生は「誰が書いたのかわざわざ調べようとは思いませんけどね。いつでも調べることはできますからね。」と言っていました。
身をもって体験できた出来事だったなぁと今でも思ってます。
ちなみに、その時の感想を卒業後ににしさんにお伝えしたところ、「え?そんなことやったっけ?」と一言。決して誇ることなく、覚えてない素振りをするのが実ににしさんらしいなと思いました。
西先生の印象的な講義2. システム工学科実験
大学3年の科目としてあったのが、システム工学科実験でした。この講義は、3週間(3回分)ごとに講師が代わり、それぞれの担当講師が用意した実験を行うものでした。その中で西先生が用意したのがレゴのマインドストームによる自動運転車両を用いたレースでした。
この実験では、3週間でレゴの車両と内部プログラミングを作成し、用意されたオーバルコースを1分以内で完走できれば単位を与えるというものでした。
ただしこの実験のミソは、「2人1組で行うこと」ということです。すると自然と、1人は車両作り、もう1人は内部プログラミング作りと分担することになります。
実はこの課題では、同じプログラミングでも、車両のデザインによってはうまくいかなくなります。うまく噛み合わないと、その場で車が回転して一向に前に進まなくなってしまうのです。
この実験を通じて、ハードウェアとソフトウェアの両方の面から考えることの大切さと難しさ、チーム開発の難しさを学びました。
ちなみに、その時の感想を先ほどと同じように卒業後ににしさんにお伝えしたところ、「へー、そういう学びもあるんだね」と一言。今でも「きっと狙いとして持っていたんだろうな」と思っているのですが、それを表に出さないのがやっぱりにしさんらしいなと思いました。
他にも、西先生の講義はどれもアクティブラーニングなものが多かったと記憶しています。
その他の西先生としてのお話は、西研出身の方の記事でたくさん語られているので、そちらもご覧ください*4。
にしさん
西先生とは、卒業後も「にしさん」として色々と関わることになりました。
にしさんは「西先生」と呼ばれるのを極度に嫌がります。それは、「西先生と呼ばれると、そこで上下関係ができてしまい、対等な議論ができない」「電通大の学生ならばともかく、そうでもない人から西先生と呼ばれたくない」というものでした。また、親しみを持って接してほしいという意味からも「にしさん」とひらがな表記を徹底していました。
ASTER理事長としてのにしさん
にしさんはNPO法人ASTERを設立し、理事長として動いていました。ASTERはテストシンポジウムのJaSSTやJSTQBを運営している団体です*5。テストエンジニアリングを生業としている人ならば、何かしらの形でASTERに関わっていたと思います。その貢献は多大なものだと思っています。
また、JSTQBステアリング委員会の委員長も務めていました。そのため、JSTQBの合格証書には全員、にしさんのサインが書かれています。そんな中、にしさんは「JSTQBの合格なんてものにそんなに価値はない。結果でしかないので、そこまでに勉強していることの方が大切」と言い切っていたのを覚えています。にしさんらしいなと思います。
もう少しマイルドに表現した投稿がこちら。
JSTQBという資格試験のシラバスと用語集が無料でダウンロードできるので、まずは読んでみましょう。受験料は高いから受けなくていいです。勉強だけなら無料なので。
— Yasuharu NISHI (@YasuharuNishi) 2020年11月24日
ちなみに、私が学生の頃はそのような活動をしているのを全く知りませんでした。にしさんの講義ではそんな話を一切言わなかったのです。そこらへんもにしさんらしいなと思ってます。
レビュー研究会/JaSST Review実行委員のにしさん
数年前ににしさんに誘われて、レビュー研究会の一員となりました。そこでは、ISTQB/JSTQBの活動によって体系化されていったテスト分野に対して、まだまだ体系化できていないレビュー分野について語っていこうというものでした。
またそこから派生して、JaSST Reviewというレビューシンポジウムを立ち上げることとなりました*6。2018年から続いており、先週第6回目の開催を無事に終わらせることができました。
にしさんが最後に参加したのは昨年のJaSST Reivew'22でした。にしさんが研究会の活動に参加すること自体はなかなかありませんでしたが、JaSST Reviewについてはほぼ毎回参加していました。そんな中での以下のツイートが今でも自分の心に残ってます。ここまで言ってくれて本当に嬉しかったです。
ブロさんがMattを呼びたいらしいという話を聞いた時にちょっと否定的だったんだけど、結果としてオレよりブロさんの方が全然正しかった。よい基調講演だった。また聴きたいし、もっと聴きたい。さすがの企画力です。脱帽。
— Yasuharu NISHI (@YasuharuNishi) 2022年10月28日
その他、さまざまな活動で関わったにしさん
他にもさまざまな活動でにしさんにお世話になりました。
2022年には、WACATE(ワークショップ型のテストの勉強会)にて招待講演を引き受けてくださりました*7。その時の概要文はユーモア溢れてて好きです。
あと、プロフィール文の最後に書かれている「ずっとずっと叱られ支えられ教えられながら、いつまでも楽しく成長したいともがいている毎日です。」という一文に今もまたうるっと来てしまいました*8。
最近はとある付き合いで、比較的頻繁に一緒に関わっていました。その関係で、今年は電通大にも数年ぶりにお邪魔させていただきました。その中で頻繁に「どうやったらブロッコリーのような若い世代がもっと動きやすくできるのか」という話をしてくださっていました。
大学の先生、ASTERの理事長という肩書きがありながら、驕ることなく本当にテストに関する組織やテスト業界に対して真剣に考えてくださっていた方だと思います。
組織について考えると言う意味では、組織に変化をもたらすことについてのツイートはとても印象的でしたので、ここでも紹介しておきます*9。
種を蒔くのよ。水をやるのよ。辛抱強くね。芽が出るのよ。枯れるのよ。飽きず倦まず繰り返すのよ。その間は無限の時がかかるような気がするのよ。でも、ひょんなタイミングで一斉に咲き出すのよ。不思議なものよ。
— Yasuharu NISHI (@YasuharuNishi) 2022年3月3日
テスト以外でも関わったにしさん
テスト以外の面でもにしさんにはお世話になりました。詳しくは書きませんが、にしさんが実質的な仲人となって、妻と結婚できたと思っています。
結婚後、
私「自分の子供が大学生になったら、電通大に入って、にしさんの研究室に入れたいです!」
にしさん「その頃は、もう俺は定年退職して、大学にいないから!」
私「そこは、にしさんに名誉教授なりになってもらって、何とか電通大に居続けていただいて…」
という掛け合いを何度かしていたのですが、まさかこういう形で実現不可能になるとは思いもよりませんでした…。
私のことを気にかけてくれていたにしさん
ここまでで、学生時代、社会人時代の両方でにしさんにお世話になりっぱなしであることを書きましたが、それと同時に、にしさんが私のことを気にかけてくれていました。
私は電通大を卒業した後、一度も所属の研究室に顔を出さなかった不届きものです。そんな中、にしさんは私が所属していた研究室の先生に、頻繁に私のことを伝えていたそうです。そのおかげもあって、今年、電通大にお邪魔したときに、にしさんがプッシュしてくれたおかげで、所属していた研究室へ無事に挨拶できました。
私と面と向かって言うことはほとんどありませんでしたが、他にも色々な方に対して私のことを話題に挙げてくれていたようです。
にしさんには感謝しかありません。本当にありがとうございました。
*1:もう四十九日も経ったので語っても良いかなと。個人的には気にならないのですが、「なんで四十九日も経ってないのに軽率に書いてるんだ」と怒っている人を見たので…。
*2:社会人になってから「なんでブロッコリーは俺の研究室に入らなかったんだよ」的なイジリを複数回やられました
*3:ちなみに、コンピュータ室はUnix環境だったのですが、にしさんは「Unixというのはドジっ娘なメイドさんなんだよ」と、コンピュータリテラシーの初回の講義で話していましたのも印象に残ってます
*4:西研出身の方の記事で「にし研の学生は大体豆腐さんって呼んでる。会ったこともねぇのに。」と書いてあったけど、きっとブロッコリーも呼んでたのかな?知らんけど。
*5:あきやまさんの記事によると、設立順としてはJaSST→ASTER→JSTQB(ASTERの傘下としてジョイン)のようです
*6:JaSST Reviewの実行委員長を決めるときに、にしさんから「○○さんは△△の理事というポジションだし、××さんは◇◇のリーダーというポジションだし、俺はASTERの理事長だから、ブロッコリーが実行委員長で良いんじゃね?」という雑な振られ方をされて、流れで実行委員長になったのも、今となっては良い思い出です
*7:オンライン開催だったということもあり、その当時の講演映像のデータが残っていました。一般公開はできず、実行委員限定の映像となっているのですが、私はこの映像を見返して泣いてしまいました。
*8:余談ですが、にしさんはプロフィール文を2パターン用意してくれました。お堅めのプロフィール文と、WACATEで掲載することになったプロフィール文です。最終的にはWACATE実行委員の方で選んだのですが、公開されたプロフィール文の方がにしさんらしくて好きです
*9:このツイートは、私と同世代の伊藤さん宛に、にしさんがリプライしたものです。若い世代の人が悩んでいる姿を見て思わず伝えたくなったのでしょう